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伝説の巨船 安宅丸とは

安宅丸とは

安宅丸の誕生

安宅丸は、幕藩体制がまだ安定していなかった江戸時代初期、寛永9年(1632年)徳川3代将軍 家光公の在任期に、向井将監忠勝が指揮をとり同11年(1634年)に完成させた軍用船で、別名「天下丸」といわれました。
家光が同12年品川沖で試乗したのち、江戸深川に係留されたこの船は、推進力に乏しいことからどのように活用するつもりで造られたかは謎に包まれていますが、江戸湾防衛の要塞として造られたという説もあります。

  • 安宅丸の造成を命じられたとされる徳川家光公

    安宅丸の造成を命じられたとされる徳川家光公

  • 『御船図』安宅丸。19世紀の想像図。

    『御船図』安宅丸。
    19世紀の想像図。

伝説の巨船 安宅丸とは

その巨大さ、豪華さにより江戸の名物となるも、莫大な維持費により約50年で解体。その巨大さ、豪華さにより江戸の名物となるも、莫大な維持費により約50年で解体。

安宅丸がどのような船であったか、その確かな資料は現在見つかっておりません。
しかしながら、安宅丸が造られて80年程、解体されて30年程を経た6代将軍徳川家宣公の在任期の正徳元年(1711年)に幕政に関与していた新井白石が向井将鑑正員にまとめさせた「安宅御船仕様帳」、「安宅御船諸色注文書」によると、全長は62m、肩幅(船体の幅)約16.2mとされ、この規模は1637年に完成したイギリスの巨艦ソブリン・オブ・ザ・シーズ(海の帝王)とほぼ同じレベルにあたり、まさに当時の世界的な巨艦であったといえます。

安宅丸が実在していた時期には、その大きさは、日本一の御船と言われたり、また富士山にたとえられ、豪華さは日光東照宮に比較されたほどであり、江戸の名物の一つとなっていたとされています。

しかし、幕藩体制がまだ盤石ではなかった時期が終わり、軍事的な役目の必要性がなくなったことや、さらに船の装飾の維持費用が莫大であったこともあり、幕府の財政建て直しが求められていた5代将軍徳川綱吉公の在任期である天和2年(1682年)に解体されることとなりました。

江戸の民に強いインパクトを与えた安宅丸は、解体後も語り継がれ、江戸時代後期にはその豪華な巨船ぶりがしきりに回想され、多くの記録がかかれることとなりました。

数百年の時を経て観光クルーズ船として現代に蘇る安宅丸。数百年の時を経て観光クルーズ船として現代に蘇る安宅丸。

現在東京湾を運航している御座船安宅丸は、この伝説の巨船安宅丸をテーマとしたクルーズ船です。安宅丸に関する確かな記録資料は現存しておりませんが、その影響をうけたとされる後世の諸大名が使用した御座船などを参考にし、現代要素を取り入れつつ、歴史浪漫を感じさせるテーマ船を表現しています。

参考文献:石井謙治「和船Ⅱ」法政大学出版局(ものと人間の文化史)1995年

  • 安宅丸の解体を命じたとされる徳川 綱吉公

    安宅丸の解体を命じたとされる徳川 綱吉公

  • 現代に東京湾の観光クルーズ船として蘇った御座船

    現代に東京湾の観光クルーズ船として蘇った御座船 安宅丸

参考文献:石井謙治「和船Ⅱ」法政大学出版局(ものと人間の文化史)1995年