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201906/09歴史

徳川埋蔵金

いつも御座船安宅丸にご乗船いただき、ありがとうございます。

今回は、人々の心をとらえて離さない「徳川埋蔵金」について!

 

江戸末期、新政府軍により江戸城を明け渡した幕府が再興の為に莫大な財宝を隠したという伝説があります。

 

1868年3月、新政府軍は東海道を下り、江戸に攻め込もうとしていましたが、江戸薩摩藩邸で行われた「西郷隆盛」と「勝海舟」の交渉により、江戸城の明け渡しが決定され、4月11日に「徳川慶喜」の江戸退去をもって、城は新政府軍に接収されました。

当時、新政府軍は財政難にあえいでいたため、幕府の御用金を捜索しますが、城内の金蔵は空であったため、ここから埋蔵金の伝説が生まれます。

当然新政府軍は蔵番を厳しく尋問しますが、誰一人として口を開かなかったそうです。

 

埋蔵金の額は諸説ありますが、一説では現在の価値にして200兆円とも言われています。

 

最も有力な説として大政奉還当時、勘定奉行であった「小栗忠順」が故郷の群馬県赤城に埋めたという説です。

 

小栗は幕府の財政責任者であり、群馬県権田村に隠遁していたことや、江戸城開城に伴う処罰者の中で唯一斬首となったことも相まってこの説が有力と捉えられました。

その後様々な埋蔵金研究者たちにより、赤城山の各所で発掘作業が行われましたが、今日に至るまで発見されていません。

 

現在では、日光東照宮に隠されている説や、船で運ばれたが沈没してしまったという説などが唱えられ、歴史のロマンとして人々の関心を集め続けています!!

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