予約はこちら

お申し込みはこちら

※アフタヌーンクルーズご乗船は事前のお申し込みは不要です。
(イベント開催時を除く)

201905/01歴史

江戸時代の水上交通

いつも御座船安宅丸にご乗船いただき、ありがとうございます!

今回は江戸時代の輸送を支えていた「水上交通」について!

 

江戸の町は運河や堀が張り巡らされており、河川は人々の交通の足や、また物資の輸送として活用されていました。

諸国からの物資の輸送には廻船と呼ばれる帆船が使用されており、米に加え、酒や味噌、醤油、油、魚粉、木綿、紙などの生活必需品が輸送されていました。

船には全て極印と呼ばれる印が押され、川奉行と言われる役人が課税や取り締まり等を行っていました。一説によると諸国から入ってくる船の数は年間2万捜を超えていたともいわれるほど、多くの船が江戸と諸国を行き交っていたそうです。

江戸と諸国を結ぶ航路は、南海路と呼ばれた上方(京都・大阪)を結ぶ航路や、越後(新潟)や出羽(秋田・山形)でとれる米を江戸へ運ぶ、津軽海峡を通る東廻り航路、関門海峡を通る西廻り航路等があり、日本中の産物をどこへでも水上交通で運ぶことが可能でした。

水上交通の発達とともに、船の大型化、耐久性の強化が図られ、江戸初期には二百石~四百石積みの大きさにとどまっていた船が千石船と呼ばれる一千石(約100トン)を超える大型の船も登場するようになります。

また、航海技術も大きな発展を遂げ、海図や磁石を利用した航法や、風上に向かって帆走する技術、星座を観測しながら夜間航行する航法も発達しました。

 

現代でも物資の輸送には水上交通が欠かせませんが、江戸時代からその流れは続いております!

  1. 一覧に戻る

月別アーカイブ